東洋思想ノート_中国仏教_多様性の統一(7)

これは「東洋の合理思想」という本をテキストとして勉強したノートです

<3>事事無礙の思想

1.相即と相入

事事無礙 : 事と事とが共通の理によって対応しあう。対立しあう主語と主語とが共通の述語によって等しくなる。

 Aと非Aとの一致≠「Aは非Aである」
 Aと非Aとの一致=Aと非Aとが等しい述語(空と縁起)をもつ

 事事無礙の一致の仕方に二様式ある → 「相即」と「相入」

 相即(空有の義)=「自もし有なる時には、他は必ず無なり」
 「Aは非Aではなく、非AはAでない」→矛盾律=事法界での相違性の認識

 このように自と他(Aと非A)は矛盾対立するが、それだから
 「自は他に即し、他は自に即す」という関係が成立する
 → 相即

 「他は自に即す」=「他が無であることによって自がある」
 「自は他に即す」=「自が無であることによって他がある」
 
 「即」=「一方の否定が他方の肯定の必要条件となる」
 Aと非Aとが相互にこのような必要・十分条件となりあうことにより
 「一方の否定=他方の肯定」 という形の相等関係

 この関係をあらゆるものに拡張して考えば「一即多、多即一」
 非Aの中にB、C、Dなどの多があるので、Aと非Aとの相即はAとB、C、Dなどとの相即であり一と多との相即となる

 相入(力無力の義)=「自が全力を有つが故に、所以に能く他を摂す。他が全く無力なる故に、所以に能く自に入る(他が自に入る)」
 自と他とが互いに相手のなかに入るので「相入」

 相即 : 並列する物(体)の相互依存の関係
      Aという主語と非Aという主語との間の相互否定的な依存関係 
 相入 : 物の作用(用)の相互依存の関係
      Aのもつ能力と非Aのもつ能力との間の相互否定的な依存関係 

ex)
種子が草になるとき、種子の存在が無になることによって草となり、草の存在が無になることにとって種子となるが、これが種子と草との相即。
現実の種子は成長する能力を持つので、そのなかには未だ存在しない草が可能性としては含まれているが、種子から草になったときには、現実の草は実を結ぶ能力をもつので、種子を可能性を含む。これが種子と草との相入

 相入 : 現実のものが非現実なものを可能性として含むということ

Aが現実(有力)である時には、非Aは非現実(無力)であって可能性としてAに含まれる。
非Aが現実(有力)の時には、その逆になる。

Aと非Aとの現実性・可能性の相関関係が相入

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