「魔術師たちの秋」を読んでみた。

「黒揚羽の夏」を読んでみた。で取り上げた 倉数茂 氏のシリーズ第2作「魔術師たちの秋」(ポプラ文庫ピュアフル)を読んでみました。なお、「黒揚羽の夏」→「魔術師たちの秋」ということは続編として「××の冬」→「××の春」という展開が期待されますね。というのは、素直な感想として、今回の作品は第六章の展開が速すぎて偽終止のようで、完全に終わった気がせず、七重町の大間知家の謎も増すばかりという状況なのです。続編での展開が無いとどうもスッキリししません。

一応ミステリーなので、あまり筋を追った説明が出来ません。
なので、Amazon の紹介文を引用しておきましょう。

[Amazon の紹介文]====================================================================
父親の工場が倒産、高校も停学中の中井ケンジは、廃屋で謎めいた少年ツキオと出会い、奇妙な事件に巻き込まれる。
一方、三年ぶりに七重町を訪れた滴原千秋は、住民の睡眠調査を行う団体に関する不穏な噂を耳にする。
“呪われた土地”で起きる不可思議の連鎖、深まる謎の果てに、彼らが見つけるものは。
衝撃の幻想ミステリー。
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なお、この「第一章 ツキオという少年」はここで読むことが可能です。

文章が巧みなので一気に読んでしまったのですが、どうも幻覚と現実が交差していてスッキリしません。それが作者の狙いなのでしょうが、通常のミステリー・ファンには不満が残るかも知れませんね。私の場合、これはこれで好きなので、すぐに再読してみたくなりました。
まあ、この小説に犯人探しの楽しみを求めてはいけないでしょう。手練のミステリー・ファンだったら、分かってしまうフラグが立ってしまっています。これは、幻想と深層の謎を楽しまなくていけない作品でしょう。続編も期待しています。


え~と、、、千秋が宇宙論の本を読んで感じたことを書いてある箇所があって、これはストーリーには特別関係ないので、引用させていただきます。

[P51~52 の引用]------------------------------------------------
 不確定性原理に始まり、多世界解釈でおわる現代宇宙論の記述を思い返しながら、世界の優秀な科学者たちが叡智を結集して描きあげた世界像がこれほどに不可思議なものであるならば、自分たちが見ている "現実" とは何なんだろう、と考えた。自分が秋の夜の暗闇のなかに横たわっている。自分という存在が、"今、ここ" に在る。ただそれだけの端的な事実と、科学の言葉とはもはや、河の右岸と左岸のようにどこまでも交わらずにいるように感じられる。いつの日か、複雑な理論や精緻な数式が、自分がいま存在している事実を鮮やかに解き明かしてくれる、そんな日はおそらく永遠に来ないのだろう。そんなことを要望したところで、科学者には「畑違いだ」と憫笑されるのが落ちなのだろう。
 自分は科学 ― というより、より広く "論理" といった方がいい ― を好む。それは論理を通して初めて、世界は秩序だって隙がなく、本質的に安定したものとして現れるからだ。だから、論理では説明不可能な間隙を世界に持ち込む、超自然的な解釈を好まない。しかし世界は本当に、秩序だっており、安定したものなのだろうか。それは人間の願望であり、世界は本当に、混沌と歪みと無秩序に満ちているのではないか。
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まず、「不確定性原理~多世界解釈」というのは宇宙論というより量子論・現代物理学の方がピンと来るとか、言ってみたくなるのですが、それは野暮というもんでしょう。
「ただそれだけの端的な事実と、科学の言葉とはもはや、河の右岸と左岸のようにどこまでも交わらずにいるように感じられる」というのは正直な感覚だと思います。「先端科学は魔法と同じ」で、抽象的になって普通の感覚では理解し難いものになっているのは事実でしょう。
こういう部分で却って「超自然的な解釈」が持ち込まれることもあり、ニューサイエンスの一部や宗教での説明にはそんなものがありました。
この引用とは反対になってしまいますが、どうも人間は根源的なところで「混沌と歪みと無秩序」を求めているような気がしています。



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