東洋思想ノート_中国古代論理思想の概要

これは「東洋の合理思想」という本をテキストとして勉強したノートです。

今までは中国仏教について学んできましたが、これはインドからの外来思想が中国化したものでした。これからは中国で独自に現れた古代思想についての論理について学びます。

 中国古代思想に占める論理の位置

1.独自な概念の論理学

中国古代思想には、もともと原始的な迷信や呪術的なものが多分に含まれていたはず。しかし、
(春秋時代にすでに原型の出来上がっていた)『論語』にはそういう要素はなく、合理的な人生観・自然観を打ち出している
次の戦国時代の諸子百家も概ね合理的、迷信・呪術の類が少ない

古代中国の形式論理学は墨家や、儒教の一派である荀子などにみられる
しかし、大体の所、概念の論理学
これは単純な概念論ではなく、概念をもって論理の全域を覆おうとする独自の観念論

韓非子の矛盾律を含めて、古代中国の形式論理学は、それなりに完結した合理的思弁体系を成している

2.合理性の限界とその由来

概念論だけで命題を推理するには限界がある
限界はどこから来るか?

 ① 言語が孤立語で語尾変化がない
 → 体言と用語の区別がなく、すべてが体言
 → 命題はすべて体言の積み重ねで成立
 ex) 「花が赤い」という命題は「花赤」、せいぜい「花者赤也」と表現
 「花」も「赤」も体言であって、主語述語はその配列順序で決まる
 (体言は論理的にいえば概念に該当)
 体言の積み重ねで命題を作る → 命題を概念の複合で考える 
 → 命題の独自性は埋没してしまい、概念だけが論理の表面に出てくる
 → 推理も概念の複合 → 概念の論理ですべてを覆う

 ② 古代中国では知的活動はそれ自身で意味のあるものではなく、社会的、道徳的実践の手段としてだけ意味がある
 → 論理そのものを探求するという試みは極めて少なく、その研究は、実践上必要な場合に限る

3.非合理性の主張とその合理性

古代中国では、実践的合理性が主張されると同時に、それに対する反定立として非合理性が強く主張されている
非合理性の主張の代表格=老荘

実践的合理性=筋の通った行為
老荘思想が合理性に反対したのは、筋の通らない出鱈目な行為を主張したわけではない
 → 社会の対人関係という相対的なものを絶対視して、それに固執する儒教の偏狭さを非難した
 → 老荘の非合理性は相対的な対人関係の外なる無差別の心境
 → 対立意識を離れた安心の境地がある=宗教的解脱の心境
 → 社会的、道徳的な合理性を破壊するものではない

合理性に対して非合理性を対置させることによって、合理性に対する極めて鋭い考察が生まれる
 → 老荘思想のなかに儒教よりもさらに高度な合理性を見出すことができる。

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